選手から国際審判の道へ 明木 源(めいき げん)

今回は輝かしい経歴を経て交際審判へ挑戦していった明木源さんにお話を聞かせて頂きました!色々なご経験があり、とても参考になる意見や、経歴を聞かせて頂きましたのでぜひ最後までご覧下さい!

過去

広島県出身の明木さん県内で湧永製薬の選手が小学生ハンドボール教室を開いてくれたことがキッカケでハンドボールを始めたそうです。
小学校4年生から始めて、初めのポジションはGK。
その後は甲田中学校で右サイド・右45度と転々とポジションが変わる中
中学生の時に、湧永製薬の山口選手に「ポストは片手キャッチ」と教えられポストに専念、そこからポストに定着し今もクラブチームでもポストとしてプレーしている様です。「今になっても片手キャッチはできませんけど。笑」と今でも永遠の課題となっている様です。笑

中学最後の年、夏の合宿にて「瓊浦と北陸が湧永製薬の合同合宿に参加していて、その時に志々場先生と話をして北陸高校に入学を決めた」と語ってくれました。志々場先生と直接話合いの結果、スポーツ推薦で北陸高校に入学が決まった様です。

強豪での思い出

強豪校『北陸高校』に入学。当時のメンバーには、2個上には「大同特殊鋼の:平子 卓人選手」「1個上に大同特殊鋼:藤江 恭介選手」同級生に「大崎電気:平子 健人選手(先日引退されましたね)柴山 裕貴博 大同特殊鋼:杉本 翔選手が在籍していた。
今聞くと相当豪華なメンバーに囲まれていたんですね。

初めての大会では県内優勝し選抜大会に出場、しかし選抜は初戦敗退だった。
監督からは「お前ら初戦敗退のチームだぞ、俺は初戦敗退の監督や」と言われ、とても悔しい思いをしたと語ってくれました。後日談ですが、福井に着くや早々に地元のスポーツショップが作ってくれたのが、あの『雪辱Tシャツ』結構有名なTシャツですよね!

「しばらくは練習どころではなく、各々の課題が多く出て課題克服に向け日々練習の毎日」課題を克服したチームがインターハイ予選で県内優勝を飾り、その後のインターハイ本戦に向け着々と準備が進められていました。

インターハイ

選抜1回線負けのチームがインターハイでどこまで通用するか…いざ試合が始まってみると「皆んな活き活きと試合してましたね、選抜大会と顔がまるで別人でした。」と課題を克服したチームの姿をよく覚えているそうです。『藤代紫水・大阪浪商・不来方』強豪校に次々と勝利し、順当に勝ち進んだ北陸高校は決勝戦で『長崎県代表:瓊浦高校(けいほ)』と対戦。
35-32で見事試合に勝利しインターハイ優勝に輝きました。明木さんは当時を振り返り「あの経験をさせてもらって、監督・コーチ・チームメイトみんなに感謝しかないです。多分一生忘れないですね。選抜一回戦負けからインターハイ優勝ですから。笑」と感慨深そうに語ってくれました。

感謝を心に秘め「いつか恩返しができれば良いな」とそんな思いがあり、大学でもハンドボールを続けようと思い、国士舘大学に入学。

大学での挫折

大学では引き続きポストでプレーしていた明木さん「同期にはカテゴリーU-18の村田知樹君(不来方出身)がいて、全く試合に出れなかった。笑」と語ってくれました。

大学1部リーグになると、カテゴリー別の日本代表選手が多いので、その中でレギュラー争いをするのは大変な様です。

大学2年生時に監督から「選手ではなく、審判として起用する」と話があり選手としての道を断たれたようで、「ハンドボール 嫌いになりそうでしたね。」と選抜1回戦負よりも、強い挫折だったようです。
その後は、国際審判を目標として、審判をメインで活動する様になった。練習中は必ず笛を吹き、様々な大会に審判として出向き、リーグ戦が始まるとチームとは別の会場に行き下部のリーグの審判として活躍していったようです。
初めのうちは嫌々やっていたが、だいぶ慣れた頃には「審判として試合を盛り上げていければ良いと。」ハンドボールに対する目線が変わったようです。

審判目線

「良いイメージがない」と語る明木さん「日本では審判を教育するレベルが高いが、審判を続ける環境が悪すぎる。日本という狭い環境になってしまうのでしょうがないですが、もっと競技人口が増えればより良い環境で審判が育つ」と断言。
なぜそこまで言い切れるかと言うと、実は明木さん『Uー22アジア大会』の審判員として世界で笛を吹いていた凄い人なんですよ「プレーはともかく笛なら少しは人より上手いと思います!笑」と語ってくれました。

順当に審判として成長していった明木さんは実業団の試合も吹くようになり、実業団の試合の際はかなり気を使う。「冒頭話した通り、狭い環境(日本)なので皆んな知り合いですよ、贔屓目にもなる気持ちもわかるし、何より選手たちの審判に対するリスペクトが低い。」当手からしたら『審判』とは邪魔な存在なのできつく当たってしまうのは当然ですが、もう少し考えるべきだと思うと語ってくれました。

これからのハンドボール協会に期待すること

「ハンドボール専用体育館を作ること。」ハンドボールできる環境が少なすぎので、ハンドボールを出来る環境を作るべきだと語ってくれました。
「特に松ヤニを使って練習ができると良いですよね、3つくらい松ヤニ専用の体育会作って欲しい!」と語ってくれました、海外では松ヤニがスタンダードだし、ヨーロッパでは公園にハンドボールコートがあるので公園にコート作ってくれても良いですよね。

社会人の試合とかも松ヤニ使えるようになると良いですよね。。。
掃除するの大変だから気持ちはわかるけど、実業団の環境を一般層にも下ろすようにしてみたら、何か変化が起きるのかなー?と思いながら聞いていました。

まとめ

今回は世界でも活躍していた、明木源さんにお話をお伺いしました!
ちなみに今は広島に帰って農業を営んでるようです!笑明木さんが作るお米いかがですか!?笑 会社HP:トペコおばら

今回は、長い時間をかけて、過去から現在に至るまで色々とお話をお伺いできました!
次回は是非、審判についてメインで聞いて行きたいですね!世界大会の裏側とか聞けたら面白いかもしれませんね!

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